アートが家にやってきた! 


最近、我が家へやってきたArtwork
作者は鎌倉在住の彫刻家の友人、彼とは数年前にヨガが縁で知り合った。スケール感のある作品は、某企業の汐留本社ビルの入り口、見上げるようなガラス張りの吹き抜けに展示されていたりする。とても個人宅で依頼できるアートじゃないのだけれど、この家を建てることになったとき、記念にしたいなぁとお願いしたら快く引き受けてくれた。南向きのリビング吹き抜けは、設計図の段階、柱が建った頃、そして完成後と、空間や光の入り方などを何度もチェックした上で、彼自身が「ここがいい」と決めた場所。
ミーティングを重ね、アトリエで模型を見せてもらったりして、いよいよ出来上がった作品は、なんだか彼の子供を迎えるようなドキドキ感。上の写真は朝日が入る時間帯。夕暮れ時は温かみのある白、夜は月に照らされブルーがかった白と、自然光によっていろいろ表情を変える。

脚立に乗っかりご本人による設置。ご近所さんならではね
窓を開け放つと、海から山を渡って来る風を受けてゆっくりと回転し、それぞれの角度から作品を観ることができる。これは、実際に設置するまで、彼も予想していなかったことだった(数メートルの大きな作品のため、いつもは壁などにワイヤーで固定するのだそう)「いーねー」と、みんなで大喜び。





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ファラオ サンダースPharoah Sanders@ Blue Note Tokyo 6.Jul,2009


ライヴ久しぶりなのと、ファラオが間近に聴けるという期待度満点で会場へ。
スピリチュアル・ジャズの魂は死なず。ソロのパート以外はステージの脇へ引っ込んじゃうし、アンコールもなし。ふつうのアーティストだったら不満が残るところだろうけれど、これでじゅうぶんと思えるほど濃密な演奏だった。心地よい余韻を連れて帰宅し、真夜中にコルトレーンを聴く。
観客は往年のジャズファンと想像していたのに、意外と思えるほど若者が多く(20代でファラオのステージを観る経験!うらやましい〜)その謎の答えはクラブシーンで度々カバーされているからとのこと。
ガリアーノによる「Prince Of Peace」カッコいいもんね。

ジョイフル・ノイズ・アントゥ・ザ・クリエーター

ジョイフル・ノイズ・アントゥ・ザ・クリエーター




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オノヨーコさんのつぶやき

Grapefruit: A Book of Instructions and Drawings by Yoko Ono

Grapefruit: A Book of Instructions and Drawings by Yoko Ono

『Grapefruit』を久しぶりに手に取る。
なぜかといえば先日、夫がオノヨーコのアートピースを手に入れたから。Skyというちいさな作品。そう意識したわけじゃないのに、いつのまにか1階スペースには「日本人」で「女性」の作品が集まってしまっている。家にアートピースがあるっていうのは、彼らが打ち出す美や生についての新しい価値や問いかけをピシピシと感じることができ、忙しく流されていく日常にハッとする瞬間を与えてくれるので、わたしにはとても重要なアイテム。出会いを求めて美術館やギャラリーを巡るのですが、同時に「人はなぜアートを所有したがるのか」というのがここ最近の我が家のテーマで、なかなか答えが出ないのだけれど、ま、それは後におき、おや、オノヨーコを忘れていないか?という話になった。彼女ほど素晴らしいアーティストで、彼女ほどゴシップのせいでその作品自体が語られることの少ない芸術家はいないよねぇと。
とくにそのシンプルで繊細で力強いメッセージは、怖がらせたり、ショックを与えたりすることなしに、心の芯にするりと入って、いつまでも出ていくことがない。そして徐々にそれに影響されている自分をじわじわと感じる。
ヨーコさんがTwitterを始めているらしいと聞き、早速アクセス。あー、このツールはまさに彼女のためにある(と、つい思わされちゃうくらい、その表現は洗練され、素晴らしい)ヨーコさんのつぶやきをフォローするためTwitterに登録した。
Yoko Ono (yokoono) on Twitter
http://twitter.com/YokoOno

芸術家のやるべきことは、うまい絵を描くなどということではありません。クリエイティヴなんてことはとくに芸術家だけの特質ではなくて、おカミさんだって子供を産むことができるっていうようなものです。そうでなく、芸術家の仕事は社会の価値を変えるということです。
ー社会の価値を変えるというのは、つまり社会を変えることと同じですか。
違います。社会を変えるためにディストラクションをして、エスタブリッシュメントを崩壊させて、それから新しい社会を作るなんていいますけれど、一度崩壊すれば、また新しい社会を建てるのに何十年もかかってしまって意味ないんですよ。崩壊によって変えるのではなくて、価値を変えることによって変えるということ、つまりあるものを壊さずにそのままにして、しかもその価値を変えることで社会を変えるということが大切だと思いますね。

ヨーコ・オノ 人と作品

ヨーコ・オノ 人と作品

       





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護王神社@直島/家プロジェクト


四国滞在の3日目は直島へ。
ベネッセアートサイト直島」はホテル、美術館、島の海岸に置かれた美術作品、島の集落で小民家を再生するプロジェクトなど、ベネッセコーポレーションが島内でさまざまに展開する、アート作品の展示や活動のこと。
「家プロジェクト」エリアには、今は住まわれなくなった古民家を再生してアート展時をしたり、周囲の家並みに溶け込むよう、この辺りの伝統的な造りである黒い焼き杉板の壁を模した建物(それ自体がアートワーク)が、島民が暮らす集落の中に点在する。
その中にある護王神社は、老朽化した建物部分を杉本博司が設計し、再建された。これはあれこれ語るより写真で。ガラスの階段は、まるで氷の塊のようで、瀬戸内の明るい春の日差しの下、いまにも溶け出すのではないかという錯覚に陥る。古来の神社には異質なマテリアルがあるというだけで、普段の暮らしに当たり前に存在する「神社」という記号、あまりにも見慣れた境内の景色が、こんなにも静けさをたたえたものだったかということに気づく。

金比羅宮までの石段785段、護王神社までは45段。アート&スピリチュアル・ツアーは歩き回る旅だった。




ベネッセアートサイト直島
http://www.naoshima-is.co.jp/





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こんぴら歌舞伎 11.Apr,2009


こんぴら歌舞伎見物@金丸座。
2009.4.11 第1部の演目は『平家女護島 俊寛』『恋飛脚大和往来 新口村』『身替座禅』勘三郎勘太郎七之助と親子オールスター。息子たちにはシリアス&コミカル両方の役どころが与えられ、親心を感じる配役と演出。親と子、夫婦の機微と誰にでもわかりやすい心情に訴える涙あり笑いありの構成は、現存する日本最古の芝居小屋にふさわしく、庶民がにぎやかに楽しんだろうかつての雰囲気を思い起こさせる。
その中で異彩を放ったのは『俊寛』で、ネタばれ承知ですが、最後の演出にヤラれました〜 都へ戻る船を見送るシーンは、後悔と未練に身をよじる演出が定石。それで幕としても、じゅうぶんの見応えだったのに、勘三郎はもうひとひねりを加え、さらなる高みに観客を連れて行く。ラストシーンで身じろぎもせず、あの諦念をたたえた表情をたっぷり見せる芝居は、まさに役者と観客の根比べのようでもあり、あの数分にすべてを凝縮させ、その魂を観るものに渡そうかとするような迫力だった。あー、すごかった。




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『Merriweather Post Pavilion』Animal Collective

Merriweather Post Pavilion

Merriweather Post Pavilion

サイケデリック・シーンで、頭ひとつ出ているアーティスト集団アニマル・コレクティヴ(Animal Collective)の新作アルバム。聴く暇がなかったのをやっとこの週末にゆっくりと。
フリー/アシッド・フォーク、音響系、オルタナティヴと、彼らをつかまえようとして色々ラヴェルを貼っても貼っても、その手をすり抜けていくかのような独自路線を疾走中。
様々な音源、リズム、コーラス(これで一気に高みまで持っていくのが彼らのスタイル)を圧倒的な音楽の知識量で複雑に組み合わせつつ、予想のつかない展開ぶりは、決まりきった着地はイヤだもんねーとばかりにペロッと舌を出す、小学生の無邪気さを連想させる。思いついたアイデアはとにかくなんでもアルバムに落とし込んでみるかのような縦横無尽は、まるで昆虫が大好きな男の子が図鑑を読みふけるうちに時の経つのを忘れてしまう、夢かうつつかファンタジックワールド。少年が、昆虫の名前なら何でも知ってるよとスラスラ言えるように、彼らもきっと小さな頃から周囲にあふれる音楽をシャワーのように浴びて、それを軽やかにブリコラージュ(Bricolage)する達人。

曲はここで聴けます
www .myspace.com/animalcollectivetheband



Animal Collective公式サイト
http://animalcollective.org/






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「我が至上の愛 〜アストレとセラドン」@銀座テアトルシネマ


エリック・ロメール(Éric Rohmer)の最新作「我が至上の愛 アストレとセラドン」を銀座テアトルシネマにて。
88歳の老練が描くのは、ローマ時代の5世紀ガリア地方を舞台に、まだあどけなさの残る男女の初々しい恋物語
草原をわたる風、降りそそぐ鳥のさえずり、揺れる木漏れ日、地が唸るほどの渓谷の水音。少女の透き通る白い肌と恋のときめきで紅潮する頬、青年の陶器のような滑らかな背中、肩に落ちる巻き毛。誤解によって恋人の心を失ってしまったと嘆く彼を、なぐさめ、時に諭す、村の僧侶の分別と悪ふざけのユーモア。ロメールは、目に見えるものも見えないものも、穏やかさも荒々しさも、人も自然も、すべては等価にうつくしいということをあますことなく表現する。ロメールの作品を観ることは、いつも「瑞々しい」としか形容しようのない、独特の美の概念をシャワーのように浴びる至福の体験。とくに今作は、いつものように恋愛のすれ違いを主軸としながら、人々と取り巻く自然を原初的に描くことにより、存在の神々しさに触れんとするところまで昇華させている。
まるで登場人物たちに混ざって森の小道を歩いているような気分になり、映画の中へ引き込まれる。本来、人は母なる大地に抱かれ、その大きなゆりかごの中で安心して、友と過ごし恋に落ち、日々の営みを送るものだったのだなぁ。いつからそれをコントロールできるなどと過信してしまったのだろう。自分たちの都合で破壊してしまったせいで、そのふところに身を委ねることも、我もその一部であるという実感も感じ難くなり、いつもひたひたと不安に苛まれているわたしたち。その日常に耐えきれなくなったときは「リゾート」と称する人工的な自然を、金を使って消費しなければならない。
『原作を忠実に再現するために小説で描かれた地域を撮影場所としたかったが、高速道路や都市化が進んでいたため願いが叶わなかった』と、映画の冒頭でテロップを流す監督は、エコ!なんてひとことも言わずに、人々の幸せのために自然美はなくてはならないし、環境は、人間が「守ってやる」ものではなく、その恩恵を受ける者が感謝し敬うものなのだということを教える。
春の嵐が吹き荒れた翌朝の空は輝きを増し、散歩の途中で出会った桃(もう、こんなに咲いてる〜)のピンクを引き立てていた。

我が至上の愛アストレとセラドン」公式サイト
http://www.alcine-terran.com/wagaai/





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