ガラスの仮面 43巻

ガラスの仮面 43 ふたりの阿古夜 2 (花とゆめCOMICS)

ガラスの仮面 43 ふたりの阿古夜 2 (花とゆめCOMICS)

ついに出ました!43巻。もう読みましたか? 前巻は6年ぶり今巻は4年ぶりという待たされようにも関わらず、アマゾンのサイトをのぞいたら20件以上のレビューが。点数づけの書き込みフォーマット上、「この本を評価する」「評価しない」って、結果をコンピュータが二極に分けちゃうのだけど、ひとつひとつの投稿には良いことも苦言も織り交ぜられていて、ファンの想いの深さが伝わる。
ほとんど筋を忘れちゃってるなーと読み進むうち、蘇る「ガラ仮」ワールド。いまも変わらぬ華麗な亜弓さんvs役がつかめず苦しむマヤ、の構図。ここを大きく逸脱することがないから連載スタート以来30年以上経てもドキドキしちゃうのよね。
芝居がハネた後、深夜まで演劇論を熱く語る諸先輩の形而上な話に耳を傾けながら「小学生のときに『ガラスの仮面』読んで、女優になりましたっ」とは、ついにカミングアウトできなかったその昔。駆け出し役者が遭遇したのは、役がそのまま乗り移ったようだと言われ天才女優の名を欲しいままにするAさんが舞台の上より稽古場をこよなく愛するということ、独特の語りで周囲を煙にまき「努力、根性」などとは無縁に見える女優のBさんがディレクターに詰め寄って緻密な議論を展開し納得するまでリハーサルを繰り返す様、迫力の演技でどんな共演者をも食う圧倒的な存在感のCさんが「役がつかめるまでは怖くて外出できない。誰にも会わずに資料や文献を読みまくるのよ」と撮影の待ち時間にそっと教えてくれた、そんな場面の数々。
芝居を離れ、もう「ガラスの仮面」を思い出すこともなかったこのごろ。久しぶりに書店で見かけて手に取り感じたのは、仕事場でお会いした女優さんたちの中には、じつはマヤと亜弓の両方が存在し、どちらが欠けても、心を打つあの名演技は成立しないのだということだった。
マヤと同じように、今は冴えなくてもいつか自分の中で何かが変わり、華開く瞬間が訪れるのではないかという投影が、この作品を読み続ける者が抱くファンタジーだと思うけど、30年の月日のうちに登場人物すべてのキャラクターがひとつに溶け合い、わたしたちの心の中で統合されていく感覚を作者は伝えようとしているのかも。『紅天女』には精霊、森羅万象、愛というキーワードが繰り出されスピリチュアルなアプローチで完結へ向かおうというこの大作、何年かかろうと待ってますよ〜




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