ただ在る(ある)ということの救済

あるがままに ― ラマナ・マハルシの教え

あるがままに ― ラマナ・マハルシの教え

病にある家族のケアと、仕事で独り立ちできるだろうかと悩む友人からの相談が重なり、今週は朝方にやっとベッドへもぐり込む日が続いた。
おそらく思いあぐねた末にかけてきただろう、深夜の電話やEメールに応じる。自分の弱さをさらけだすのは、勇気が要ることだ。しかし、助けを求めてきたはずの彼らは、そのうち「このつらさは(本人にしか)わかるまい」と激高し(いわゆる逆ギレ...^^;)、「恵まれた立場で平穏に暮らす人(←わたしのコトを言っているらしい)には理解できるはずない」といって自ら心を閉ざす。
ああ、わたしも同じことをしているなぁ。自分を引き受けることができず、手を差し伸べてくれそうな人に対しネガティヴな感情を背負わせながら、そのそばから「わかってくれない」「どうせわかるはずない」と責める。苦しくてどうしようもなくて、きっとこうなっちゃうんだ。こういうときこちらは、彼らの感情に同調せず、ただ話に耳を傾けるしかない。共感や同情はなぐさめとなっても、それだけで解決することはできないし、安易な励ましは、不安や焦燥感に苛まれている人を追いつめるだけだ。
己の無力に呆れ、彼らをどうにかしてあげたいとか、力になりたいと、どこかで奢る気持ちにも嫌気がさし、もはやできることといえばひたすら聞くこと。そうするうちこの「沈黙」の意味を、ラマナ・マハリシ(Ramana Maharshi)の言葉に思い出す。
彼は「世界の苦しみをなくすにはどうしたらよいか」という問いに対し「真我を実現しなさい。それだけが必要とされるすべてである」と答えている。(真我とは、自我を捨て去り、ありのままの、本来の自分として在ること)

真我の至福はつねにあなたとともにある。もし真剣にそれを求めるならば、かならず見つけるだろう。あなたの不幸の原因は、外側の人生のなかにあるのではない。それは自我として、あなたのなかにある。あなたが自分で自分の上に束縛を押しつけておいて、それからそれを超えようと虚しくあがくのである。すべての不幸は自我のために起こる。自我とともにすべての困難がやってくる。あなたの本当の不幸の原因はあなたの内側にある。それを人生のできごとのせいにしたところで何の利益があるというのかね?外側のものからどんな幸福を得ようというのか?たとえそれを得たとしても、どれほど長くつづくというのだろうか? もしあなたが自我を否定し、それを無視することによって焼き尽くすならば、あなたは自由になるだろう。もし、自我を受け入れるならば、それはあなたに制限を押しつけ、それを超えようとする虚しいあがきのなかにあなたを投げ入れるだろう。本来の自己である真我として在ることが、永遠にあなたのものである至福を実現する唯一の方法である。





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