「食べるものを限ることの意味」

庭の時間

庭の時間

辰巳芳子氏の新刊「庭の時間」は、庭の花、果樹、野草とその献立をめぐる、うつくしい歳時記。一気に読み終えるのがもったいない、次はどんな植物と献立が合わせられるかと、はやる気分を落ち着けゆっくりと頁を繰る。
その扉に福岡伸一氏が序文を寄せていて、明瞭で強いメッセージがこころを揺さぶる。著書『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書,2007年刊)をワクワクしながら読んでいたので、料理家の本を開いて生物学者の文章に出会うという予想しなかった事態にもいっそう驚いた。タイトルは「食べるものを限ることの意味」
『ある生物はある特定のものしか食物としない。草食動物は植物しか食べないし、肉食動物は生肉しか食べない。(中略)生物たちは、食物を限ることで競争を避けているのである。もちろん生物同士のあいだに食う・食われるという関係がある。しかしそこにはおのずとバランスが生まれる(中略)むしろ、自然界における生存競争のうちより厳しいものとなるのは限られた食物を巡る取り合い状況である』
『多くの生物たちが自ら食べるものを限定している中にあって、ヒトだけがありとあらゆるものを貪る。それだけでは飽き足らずに常に新しいものを求める。私たちが食べるということを考える際、まず自覚的にならねばならないことはこのことである。手当たり次第のどん欲さは、他の生命に大きな負荷をかけているのである。もちろん私たちが、言祝ぎの一日、変わったもの・珍しいもの・貴重なものをいただくことがあってもそれはよいだろう。しかし、現在、日日、私たちが食べているものは、食物という名の何か別物である。世界中に触手をのばしてかき集められたものが、わからない方法で加工され、身体の成分とはならないものが添加され、知らないルートで配布される。私たちは自分が食べているものの出自もプロセスも全く見えていない』
『この本は、私たちが棲むこの風土の中で手が届くものだけをふだんの糧としても、実に豊かな食事を楽しむことができることを私たちに伝えてくれる。それは身の回りの小さな場所、わずかな変化、少しの時間の移ろいに気づくということでもある』
食にまつわる事柄について、こうしていま自分が格闘している行為をどう呼べばいいのかわからなかった。オーガニックとか手づくりとか、エコ、ベジタリアン地産地消etc...どれをとっても、それはただ指先で表面を引っ掻いているだけじゃないのかって思っていた。この、矛盾をはらんだ生きものであるわたしと、際限のない欲望をどうおさめていけばいいのか。そのことにどんな意味があるのか。不意に訪れたこの本との巡りあいは、そんなモヤモヤしたものが風に吹かれ、一瞬雲の切れ間がのぞいたようなできごとだった。
知的でうつくしい文章に身をゆだねることは、贅を尽くした料理のフルコースを食べるのと同じくらい官能的。しかも美食では決して得ることのない、心の平穏がついてくる。




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