『ゼロ年代の想像力』

ゼロ年代の想像力

ゼロ年代の想像力

久々に、唸った評論。参りました。
小説、映画、漫画、TVドラマ、アニメなどにおける「物語」の変遷を追いながら、『私たちの世界観、そして物語を生み出す想像力にも大きく影を落としている』2001年以降の世界の変化について考え、次代の想像力の在り方を考えようというのだが、最初の数ページでもう、読むのをやめられなくなった。

しかし残念だが、2001年以降の世界の変化に対応した文化批評は国内には存在していない。それは現在、批評家と呼ばれるような人々が、この2001年以降の世界の変化に対応することができずに、もう十年以上同じ枠組みで思考し、時代の変化を黙殺しているからである。もう十年近く、国内の「批評」は更新されず、放置されていたのだ。

いーねー。出だしからして、このケンカ上等っぷり。
ポストモダンが進み、イデオロギーや歴史的に与えられてきた個人が生きる意味や信じられる価値といった、国家や社会が用意してくれる「大きな物語」を、もはや失った現代のわたしたちは、どう生き、物語を紡いでいけばいいのか。90年代から続くこの停滞感、わからなさを、「ゼロ年代」の作家たちはどんな風に乗り越えようとし、どこに可能性を見いだしてきたのか。そしてこの出口なしのように見える状況をこれからも生きていかなければならないわたしたちをどこへ導こうとするのか。
扱う題材が広範囲かつ最新のため、TVドラマは見なくなって久しく、ケータイ小説まではチェックできないこちらのヘナちょこ振りを見透かすように、丹念な説明と脚注が繰り返され、ときに過激に、見事なまでの徹底ぶりと緻密さで展開する。
やがて筆者は、大きな物語を失ったわたしたちは、データベースの海から断片を集め、同じ価値観の者同士だけでつながり、思考を停止して小さな物語の中に引きこもるのではなく、自覚的なコミュニケーションと新しいコミュニティの在り方を模索することによってその閉塞と暴力を解除していこうと示唆する

ひとつの時代とその不可避の潮流に対峙したとき、人々は「こんな世の中は間違っている」とすべて否定して背を向けるか、「流れに乗ればいい」と身をまかせてしまうかという両極端な反応を取りやすい。だが、それはともに愚かな選択だ。世界の「いい/悪い」を論じることにまったく意味はない。長所を生かし、短所を克服することで変化させていくしかないのだ。(中略)大事なのは、正しい道を発見するために血眼になることではない。変えられるものと、変えられないものとを峻別しながら、受け入れるべきものを受け入れ、変えるべきものを変える、自由で謙虚な態度なのだから。

かつてはサブカルチャーの渦の中が自分を取り巻くリアリティで、それを論じた本が出ると「なるほど、こういう位置づけなのか」と、自分のリアルを再認識したものだった。今ではその両方をこうやって読むことで得るしかないが、それは自分がもう若くはないという、ただの感傷に過ぎない。そもそも世界で起こっていることをすべてこの身で経験できるわけではないものね。だからこそ、こんな本を待ってました! 次作が楽しみ。


追記(2009.8.28)
東 浩紀氏の blogに、『思想地図』の次号は、宇野常寛氏へ編集協力を依頼したとの告知。発売は2ヶ月後だそうです。

NHKブックス別巻 思想地図 vol.3 特集・アーキテクチャ

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