意味からの自由

太陽を曳く馬〈上〉

太陽を曳く馬〈上〉

この夏、ほぼ同時期に出た人気作家の新作『1Q84』と『太陽を曳く馬』を続けて読む。
正確には村上春樹の方は7月の発売後すぐに読了、高村薫の方はどうも手こずり、その前に読みかけていた小説へフラリ、MUSIC MAGAZINE増刊号の清志郎特集へ寄り道したりして、読み終えるまでに1ヶ月かかった。
つまらないとか読みにくかったとかいうのではなく、むしろその逆で、早く先を読み進めたいのに、圧倒的な情報量とその厚みを身の中へ収めようと、途中しばしの休憩を欲してしまったため。
こんな読み方をして、作者は眉をひそめるかな。
ばらまかれた、それぞれが屹立する言葉の数々と、芸術、禅、オウム真理教、殺人事件というテーマが折り重なって、一見すると感情を排したような、でも胸に迫る密度の高い文章が、まるで壁一面のロスコーの色のように、すごい圧力で押さえつけてくるのだ。
わたしたちがさらされている、21世紀の混沌、または「わからなさ」は、言語によって意味を与え、自己を、他者を理解しようとしてきた人間の営みの、及ばない地平まで来ているのではないだろうか。もはや言語によって世界の意味を理解することなどできないというのが、わたしたちのリアリティなのだとすれば、それを前提として、さてわたしたちはこれからどう過ごしていくのか。意味から逃れてなお生きるというもうひとつの選択は、果たして本当に可能なのだろうかという問いを、執拗に問われ続け、途方に暮れる。

夏休みに泊まりがけで遊びに来て、久しぶりにゆっくり会うことのできた妹との話題はやがて『1Q84』に及び、彼女は「あまりすっきりした読後感じゃなかったなぁ」という意味のことを言っていたが、当代きっての作家たちが描く世界に通底するこのモヤモヤ感こそ、ここへ照準を合わせて考えよという彼らのメッセージなのか。...っていうかコレが、いまの精一杯だ〜。やれやれ。

1Q84 BOOK 1

1Q84 BOOK 1





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