『雑食動物のジレンマ』マイケル・ポーラン著

雑食動物のジレンマ 上──ある4つの食事の自然史

雑食動物のジレンマ 上──ある4つの食事の自然史

読了後もしばらくこの本とその内容が喚起する様々に、思いを巡らし続けていた。米国における、食についてのリポートと考察。著者の「そこまでやるか!?」的、体当たりの取材が、読む者をワクワクさせる。
雑食動物である人間は、その特性によって繁栄を続けてきたが(ユーカリだけを食べるコアラは、他の動物と餌を取り合うことがない代わりに、その地域のユーカリが山火事に遭ったり、自分たちで食べ尽くしてしまえば、絶滅の危機にさらされる)なんでも食べられるということは、もしかしたら身体に悪いものも食べてしまうというリスクも抱え、常に何を食べるべきか悩むジレンマに陥る(コアラは、悩まない)という出だしからして、新しい視点を与えられ、それで、それで?と、もっと先を読みたくなる。
やがて、毎日の食事で自分が口にするものは、一体どこからやってくるのだろうというシンプルな疑問を出発点に、著者は食物連鎖をたどる旅に出る。
第1部は、工業的食品と彼が呼ぶ、ファストフードの源へ。大規模農場で単一栽培される飼料用トウモロコシが、肥育場(わたしたちが想像する緑の牧場とは違う、専用施設)で一生を過ごす牛の餌に、さらにその牛がマクドナルドのハンバーガーになるまで。
第2部は、2種類のオーガニック食について。その1:工業的オーガニック食品→オーガニック食品企業によって大量生産される有機食品。例えば、洗浄済みレタスの「サラダパック」や「オーガニックTVディナー*1」など。その2:小規模な有機農家による農産物→新鮮さや健全さに矛盾するとして収穫物を通常の流通にのせず、独自の販売網で顧客と直接契約を結ぶ農家から、消費者へと届けられる食材。
第3部は、狩猟体験。野生動物を狩り、キノコを求めて森に入り、住宅街の庭先でベリーを摘む。自らの力で手に入れた食べ物だけを料理して供するスペシャル・ディナーのリポート。
工業的に飼育される牛の運命を正確に追うため、一頭の子牛を買いそのオーナーになったり、農薬や肥料はおろか、家畜の飼料も買わず、その一切を自家農場の食物連鎖と自然の循環でまかなう究極の有機農家へ1週間滞在して労働したり、その身体感覚の確かさとジャーナリスト魂に舌を巻き、読み進むうち信頼が芽生え、いつしか彼の体験を共有する。
こういった、食の危機を訴える本のベストセラーって、センセーショナルに悪い食べ物を攻撃したり、添加物をやり玉にあげたり、上っ面の批判(非難?)だけで終わっている類いが多く、深刻ぶってる割には軽薄な内容にいつもシラケてしまうのだが(じつはこの本も、もしかしたらそうかもねーと思って読み始めた)、本書では、狩猟採集から始めるという、おそろしく手間ひまのかかる食事の支度を通じて、倫理的存在である人間の本質へ迫り、食物連鎖をたどりながら、生き物はみな、他の命を食べて生きるというその事実に正面から向き合う。その深みといい、取材の過程で自らの滑稽さを表現するユーモアといい、知性に満ちていて心が躍る。





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*1:TVディナー 1人前がパックになって、トレイごと電子レンジでチン!すれば、そのままTVの前へ持って行って食べられるという、米国の典型的な冷凍食品