「雪の朝(あした)は裸で洗濯」


3月を目前に、雪。しかも降ること、降ること!
山の上にある我が家は、これはもう足止めされると早々に諦めて巣ごもり。雪見酒ならぬ、雪見ポトフpot-au-feuで、今夜の献立を賄うことにしましょう。
翌朝は、所用があって里帰り1時間半のドライブ。昨日とは打って変わってポカポカ陽気です。あちこちにまだ雪も残っているというのに。

子どもの頃、暗くなるまで遊んだ近所の神社。残雪の見た目とは違って暖かな日差しに境内でまったり〜
たまにしか家に寄り付かない娘へ茶など淹れつつ「"雪の朝(あした)は裸で洗濯"って言うからねぇ」と、母がつぶやくので、思わずその横顔を眺めてしまった。なんというか、こういうことをサラリと口にする人なのだということに、改めて驚いたりするのでした。
両親は東京の下町生まれで、母は幼子の頃に東京大空襲を体験しました。命からがら逃げた後、家族がなんとか一緒に暮らせたのでそれは幸いだったけれど、田舎へ逃れともかく生き延びることに精一杯の日々。疎開先の小学校で東京者は苛められたり、貧しさゆえ望むような教育を受けることも叶わず、学問に恋い焦がれる青春だったと。
娘は、母のリベンジに付き合わされているような気がするのが嫌で嫌で、教育ママなんだからー、もうっ!と決めつけ、愚かにも反発を繰り返しましたが、大人になって、まぁとにかくもそれなりの暮らしへ着地し、確執も水に流した今になって、おやと思うのは、母のこんな言葉だったりする。
教養というのは、机に向かって獲得するもの(そういうものもありますね)だけとは限らず、こんな風に、日々の暮らしの中で、鈍感に身を沈めることのないよう、ひそやかに、豊かに身につけていくものでもあるのかも...と知った、里帰り。

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