禅寺の白梅


坐禅会の朝。5:30の起床時はまだ暗い。顔を洗って身体をほぐすストレッチをしている頃、あたりが白々と明けてきます。
冬の早朝坐禅はツライけれど気が引き締まる。薄暗い本堂に坐りながら「おや、先月より寒さが緩んできたな」と思う。...正確に言うと「思う」じゃなくて「感じる」かな。んー、違うなぁ「そう感じたときの様子を、いま、寒さが緩んできたなという言葉で説明する」が一番近いかも。
坐禅中は目を半眼に開いたままひたすら呼吸に集中。集中が浅いとココロにはいろいろな想念が浮かんでくる。暑いとか寒いとか腹減ったとか、あーでもない、こーでもないとほんとうに雑多なこと。浮かぶこと自体は仕方ないので(止められないものね)放ったらかして「あー、また新しいのが浮かんだなぁ」とやり過ごす。浮かんだコトを追っかけていかないよう訓練しなさい、想念に掴まれてしまったら常に呼吸に意識を戻しなさいと、老師から指南をいただく。こうやって自分を眺めていると、呆れるくらい雑多なことを考えてるもんだ、しかも次から次へとまったく脈絡がない。人間って外からの刺激に反応しまくる生き物なのねぇ。
人との関係でも、相手の言葉や態度にカッとしたりヘコんだりするけれど、後で落ち着いて考えれば、些細な行き違いだったり、悪気のない振る舞いだったということが多い。それなのにその場は心が揚がったり下がったりして感情に流される。そのインパクトが強すぎればたった一度の出来事を理由に、後々まで相手を○○な人だと決めつけたり。
坐禅会では、外的刺激への単純な反応(たとえば喜怒哀楽)がイコール「わたし」なのではなく、こんな感情がいま沸き起こってるなぁとそれを見ているのが「わたし」であるということを学び、実践する。すぐにはうまくいかないのだけれど、呼吸とひとつになって坐り続けるうち「反応体であるわたし」との間に少しずつ距離が生まれ、だんだんスペースみたいなものができてくる。そうすると「本来のわたし」はもはや刺激から影響を受けることがなく、翻弄されない。居心地の良い「ありのままの自分」を楽にキープできる。
の、ハズです。もう何年も続けているのだからもう少し成長しても良いのではないかと思うのに。朝っぱらから、つまらないことにイラっとして我を見失い(←モロ、反応体)口喧嘩。よりによって坐禅会の前だっつーのに。やれやれだ。




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