『グレース&グリット(Grace and Grit)』ケン・ウィルバー著

グレース&グリット―愛と魂の軌跡〈上〉

グレース&グリット―愛と魂の軌跡〈上〉

著者が運命の女性と出会い、結婚してまもなく、妻に乳がんが見つかる。ふたりの、5年に及ぶ闘病の記録。
普段は、あまりこの手の本を読まない。愛に満ち、病気の先入観や偏見を無くすため、または治療の情報を共有して社会の役に立てたいという目的、病気に立ち向かう主人公(と家族)その姿に心から同情し、共感を抱く一方、自分は安全な立場にいて、健康でよかった、あるいは、わたしの病気はこれほど大変なものではないと、感じているのではないか。読みながらいつもそのことに違和感、もっと言えば嫌悪感を持ってしまう。自分の中にあるそれを一体どうすればよいのか、わからないからだ。
けれども、他ならぬケン・ウィルバーの本というので読み始めたら、そのまま一気に。もう途中で本を置くことができなかった。
妻トレヤの日記を軸に、ケンが回想を加える構成は、全編がお互いへの深い理解と、愛、ユーモア、そして許しに満ちている。突然襲ったこの困難に、初めふたりは、驚き、怒り、果敢に立ち向かい、絶望し、そして傷つけ合う。やがて、抵抗したり闘ったりする道ではなく、あるがままを受け入れるという選択へだんだん移行していくプロセス(それは治療をやめてしまうとか、懐疑的になるという意味ではない)と、ふたりの人間的成長が克明に、率直に語られる。トレヤの内省的で、曇りのないまなざし、恐怖に折れることなく真摯に自己を見つめる挑戦が素晴らしく、何度も泣いた。そしてついに、トレヤは彼女自身の人生の在り方へと答えを導き出す。
治療へ向かう態度、情報の集め方、治療方法の選択、介護者は患者と同じくらい孤独に陥り易いという状況など、ほんとうに知って良かったと思える事も多いが、中でも『トランスパーソナル心理学ジャーナル』誌へ発表されたトレヤの文章に、はっと目が覚めた。タイトルは「本当に役立つ支えとは?」
あるときトレヤは、友人と話している。彼は自分が甲状腺ガンであることを数ヶ月前に知った。トレヤはこんな話を友人へ披露する。「自分の母親も15年前に大腸ガンになったが今は健康でいる。母が病気になった原因は、もしかしたら脂肪の過剰摂取かもしれないし、ストレスかもしれない」

「自分が何をしているのか、わかってるのかい?」と彼は言った。「君はそんな理屈を紡ぎ出すことで、お母さんをモノ扱いしているんだよ。君だって人から同じようなことをされたら、暴行されたみたいに感じるはずだ。ぼくにはよくわかるんだ。なぜって、ガンにかかった理由を友だちから聞かされるたびに、ぼくはそれが負担や重荷みたいに感じるんだよ。そうした言葉は、ぼくのことを第一に考えて出てきたものとは思えないし、つらい状況にいる人間に対する敬意も全然感じられない。彼らの感覚は、ぼくにたいして言われるのであって、ぼくを助けるためのものではないと感じたよ。ぼくがガンにかかったということで彼らは怖じ気づいたんだろう。それで、その理由、説明、意味が必要になったのさ。その理屈は彼らのためにあるもので、ぼくを助けてくれるものじゃない。それどころか、ぼくをいっそう苦しめたんだよ」(中略)
 この友人との一件が扉を開いてくれた。わたしは病気を患う人びとにたいして、より共感をもつようになり、彼らの心を踏みにじらないよう敬意を払い、彼らに接するときも、よりやさしくするようになった。そして、自分の考えを述べる際には、より控えめにするようになった。わたしが病気の原因についてあれこれ仮説を立てるその背後には、明らかに非難の心があることを理解しはじめた。そうした仮説の言外の意味もわかってきた。「あなたのお世話をしましょう。何かわたしにできることはありますか?」というかわりに、わたしは本当はこう言っていたのだ。「あなたはどんな悪いことをしたの?どこでまちがえたの?どんなふうにしくじったの?」と。そして、それは必然的に、こう言っていたことになる。「どうやって自分の身を守ろうかしら?」と。

病気の家族や友人を気遣う、善意の振る舞いの陰に、潜んでいたのは何だったのかということに思い至る。そして、病人の側に立ったときにも、案ずる側に立つときにも、今までいつも感じてしまっていたある種の居心地の悪さについて、納得した。
たとえば身近な人が病気になると、わたしたちはつい自分の体験談を話したり、以前耳にしたことのある(不確かな)情報をありったけ伝えたり、といったことをしがちだ。それが実際に役に立つ、または求められていることかどうかもよく考えずに。相手のことが心配で、そうせずにはいられないからだと思っていたが、ほんとうは何に駆り立てられていたのかということを理解した。

わたしは自分にこう言い聞かせる。「役に立つ確固とした考えやアドバイスは必要ないんだ」と。相手に耳を傾けることが助けになるのだ。聴くことが、与えることなのだ。わたしが心がけているのは、彼らと気持ちが通いあえるようにすること、わたし自身の恐れを通して彼らに近づき、ふれること、お互い人間として付き合うことを忘れないことだ。共に本当に怖がっているんだということを認めてしまえば、一緒になって笑い飛ばせるものはたくさんあるとわたしは思う。

本書には、著者がインタヴューを受け「インテグラル思想」について答えるというシーンも織り込まれていて、難解で手強いと思われている彼の理論が、わかりやすく説明されている。ケン・ウィルバー入門書としてもオススメ。



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